古野恵美子 略歴
1986 | 京 展 +α展(京都) |
1987 | 京都芸術短期大学専攻科卒 関西一陽展 新人賞 |
1991 | 一陽展(以後毎年出品) |
1992 | 京 展 京都市文化芸術協会賞 一陽展 特特賞 新鋭展(大阪府立現代美術センター) |
1993 | 関西一陽展 讀賣TV賞 21世紀アート大賞 '93 |
1994 | 個展 (京都 ギャラリーa) |
1996 | 3人展 (京都 ギャラリー楽) 個展 (枚方市民ギャラリー) |
1998 | 新鋭展 (大阪府立現代美術センター) |
1999 | 高原の20年展 (京都) 一陽会京都作家展 (京都芸術会館) |
2000 | 一陽会関西作家展 (大阪府立現代美術センター) |
現在 | 一陽会会友 |
「記憶の中にたたずむ形象
―古野恵美子さんの絵をめぐって―」
美術評論家連盟 田中 久和
古野恵美子さんの作品を通覧して、いろいろな事をおもった。初期作の、 様々な形をしたガラス容器の並ぶ室内画から、建築の鉄骨のような骨組 みだけを描いた風景画の近作に至るまで、いずれの作品も的確なデッサ ンとヴァルールの安定した色調を示しており、画面の構図も少しも奇をてら うことなく正面からしっかり組み立てられている。 堅実な造形力を示しながらも、同時に画面にはイメージの遊びのような 要素も見られる。ガラスの容器を中心に構成された画面の上から、泡立つ 水泡を描き加え、室内の情景があたかも水底に沈んでいるかのように暗 示したり、線条の骨組みだけからなる建築物も、現実の世界にあるものと いうよりは、画家のファンタジーに属するものであろう。 したがって古野さんの作品を一点一点見ている時は、私たちもまた画面 の呈する表現世界に遊ぶ事ができる。それらの絵は、何よりも私たちの 視覚を楽しませてくれる点に大きな特質がある、と言ってよいだろう。 しかし、作品を見終わったあと、日常のさまざまな用事に追われているう ちに、たいていそうした類の絵の印象は次第に薄れてゆくものなのだが、 古野さんの絵の場合、日々の生活のこまごました事に追われている時、 ふとその画面を思い出すという事があった。絵を見ている時は大いに楽し めるものの、やがて記憶の表層から消えてゆくはずのものが、何かの拍 子に思い出されたり、画面の細部が鮮やかに蘇ってくるという経験をした。 そしてそれは何故だろうと考えてゆくと、つまるところ古野さんが絵画制 作に託しているヴィジョンにあるのではないか、と思った。室内画や風景 画という、私たちがすでに十分に見馴れた表現形式をとりながらも、そう した何気ない形式を通して、画家は自らの心の深部に揺れ動く何か大切 なものを語っている。それゆえ、古野さんの絵は、それらを見終えてしば らく経過したあとでも、忘れられない残像となって私たちの心にとどめられ ているのだろう。 それでは古野さんの絵に内在するヴィジョンとはなんであろうか。 この問いに対して即答することは難しい。それでも、あえて一つの答え を出すとすれば、最近作の『記憶』と題された作品が手がかりになるかも しれない。 白を基調に明るく彩色された背景地に、海辺で遊ぶ子供や、水上へ突 き出た桟橋、そしてギリシヤ神殿を思わせる白亜の建物、さらにはギリシ ア神話に登場するイカロスの墜落を思わせる落下する人物などの様々な モティーフが、モンタージュのように、一つの画面の中に並べられ、交錯し ている。 明るく彩色された背景地が逆光のような効果をもつため、描かれたさま ざまなモティーフはいずれも画面に浮遊しているかのような仮象性を帯び ている。そして描写における仮象性こそ、私たちの記憶の中に生きている 形象の本質なのかもしれない。 過ぎ去っていく時間の推移を記憶にとどめ、そこに見え隠れする形象を 表し構成する事、これが古野さんの作品に一貫して流れているヴィジョン なのではないだろうか。 仮象性とともにもう一つの古野さんの絵を特徴づける要素がある。それ は『堆積する時間』と題された連作に見られる、水の泡の立てるブツブツ とした音、そしてバベルの塔を思わせる重層的な建造物とそこに点在する ガラス壜を描いた『風の塔』から聞こえてくるサワサワとした風音などに 典型的に示されている。 そして今回私が古野さんの作品を通覧して一番深い印象を受けた『景− 驟雨−』(1999年作)では、前景に寄せる漣の音と遠景の中州に降る夕立 の激しい音とが、二重奏のように響き合って私たちを画中に誘い込む。 ここで話は飛躍するのだが、平安時代に屏風歌というものが多く作られ ていた。文字通り屏風に描かれた絵を見て、それを代として詠まれた歌だ が、おおむね画面に描かれたものについて説明したり、それから連想され る感懐を感傷的に歌うものがほとんどである。その中にあって次に歌だけ には、そうしたレヴェルを越えて、絵画の本質までも洞察するかのような 趣がある、と私は感じた。 思ひ塞(せ)く心の内の滝なれや 落つとは見れど音の聞こえぬ 三条の町(「古今和歌集」所収) この歌意を詞書にしたがって私なりに意訳すれば、「この見事な屏風に は滝の落ちる様子が描かれていますが、しょせんは絵にすぎません。私の 心の内にもあなたへの思いが滝のように激しく流れていますが、絵と同様、 音をたてることもなくむなしいかぎりです」となるだろうか。 どんなにすばらしい描写の絵であっても、絵では表せないものがあると いう見方は、平安時代の宮廷文学を彩った女性たちに共通したものであ ったらしく、『源氏物語』にも「絵に書きたる楊貴妃のかたちは、いみじき絵 師といえども、筆かぎりあれば、いと、匂ひなし」という一節にその典型が 見られる。 絵筆によってどれほど精妙に描写を尽くしてみても、「音」や「匂ひ」と いった表現の豊かな世界を彩る要素はとても描き尽くせるものではない。 こうした認識は王朝人の絵画感の基底にあったものとして注目される。 そしてこのような認識が国風文化の進展とともに成立した事は、平安前 期の唐風文化においては全く逆の絵画観がみられることによって例証さ れるかもしれない。 たとえば唐風文化を代表する一人、嵯峨天皇は、唐代中国において流 行した題画詩に影響されて多くの漢詩を作っているが、その中の一つの結 句に次のようなものがある。 眼を馳せて看て知りぬ丹青の妙 此に対して人情の興余りあり 画は真の花に勝りて冬春に咲き 四時つねに悦ばしむ世間の人を (清涼殿画壁の山水歌 嵯峨天皇 原漢文) 絵にかかれた花は季節を問わず画面の中で咲きつづける、此れこそ丹 青(絵画)の素晴らしさであるという見方には、儒教の勧戒主義的な価値観 が感じとれるが、とはいえ嵯峨天皇をはじめとして九世紀の唐風文化の推 進者たちは、素直に絵画の描写力の素晴らしさに満足しているのである。 そして九世紀末頃から明らかになってくる新しい国風文化の担い手たち は、自分たちの身近にある自然や生活に立脚して生まれてくる独自のヴィ ジョンを絵画に求めた。 そのヴィジョンとは、どれほど迫真的な描写を見せる絵であっても、し ょせんは絵空事にすぎないというものであって、たとえば音や匂いといっ た私たちの感覚に直接触れてくるものまでも絵で描く事は難しいというも のであった。そしてこうしたヴィジョンに基づいて、国風文化の担い手で ある女性たち独自の絵画観も生まれたのである。 ここで私が平安時代前期に見られた二つの絵画観を参照したのは、現 代における古野さんの絵が、泡立つ水音や揺れ動く風、そして静かな漣や 遠くの夕立などを画面にとらえようとするところに一つのヴィジョンがあり、 そしてそれは遥かな時間を越えて平安時代前期の女性たちが「絵では描 けぬもの」として意識していた事とも呼応するからである。 古野さんの絵は、ことさら描写力や構成力という技量の巧みさを誇るも のではないし、新しい主題や形式を提示しようとするものでもない。いわ んや現代美術の潮流に乗って何かを声高に訴えるものでもない。 その画面には実にさりげない風情をした形象が静かにたたずんでいる。 しかしその形象を一度「眼を馳せて看」た人ならば、そのあと折々の機会 にその絵について思い出すことになるにちがいない。そしてそれは何故か と考えると、古野さんの絵には、個人の思いを越えたところにある絵画の ヴィジョンに呼応するものがあるからである。 それは記憶の中の形象が帯びる仮象性や、音や匂いの表出といった「 絵画の課題」に答えようとするものである。 このように絵画にとって普遍的なヴィジョンや課題を背負いながらも、少 しも奇をてらうことなく、声高にもならず、静かに歩みつづけてゆく古野さん の制作が今後どのように展開してゆくのか、私も静かに見守りたいと思う。 |