スニティ・J・チャクマ最近作
Suniti J. Chakma's recent work
『スニティ・チャクマとレンヌの画家展』について |
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美術評論家 中塚 宏行 | ||
スニティ・チャクマの作品はこの茶屋町 画廊で94年にはじめて国内で紹介され、 95年には、同じ画廊で2度目の個展が開 催されるとともに、枚方市民ギャラリーで も、平和の日記念事業として大きく取り上 げられるところとなった。その時のサブタイ トルは、茶屋町の方が「フランス亡命中の バングラデシュ反戦画家2度目の来日― 作品で闘いとる少数民族の人権」、枚方 の方が「作品で訴えるバングラデシュ少 数民族の現実」であった。そうしたサブタ イトルが語る背景を、改めて再びひととお り解説しておく必要があろう。 |
スニティは、「描くこと、それは『裏側にあ る、あるいは内在されている真理が何か』 を知るために、眼に映りうる世界を超越す ることだ。」と語る。そして彼が描くのは、 人間であり、人間の顔であり、人間の眼で ある。画面に頻出する紡錘形をした眼のフ ォルムは、眼のジェスト(身振り)そのもので あり、その身振りが紙の上に軌跡を残して いく。アクリル絵の具の速乾性と透過性に 惹かれた彼は、あたかも速描スケッチのよ うに眼のジェストを紙上に残していく。その 方法論は、私たち見るものを、見られるもの へと変える道具立てともなっている。 |
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スニティは1965年、ミャンマー国境に接 するバングラデシュの南東部チッタゴン丘 陵地域に住む少数民族のひとつチャクマ 族に生まれた。現在35歳。バングラデシュ の国民の大半はべンガル人でイスラム教 徒である。1971年のバングラデシュ独立 後、スニティの家族をはじめチャクマ族が 住むこのチッタゴン丘陵に、べンガル人の 流入がはじまり、それまで自治権を持って いたチャクマ族との間でー挙に緊張が高ま り民族紛争が勃発した。1986年に起こった 紛争では、多くのチャクマ族が難民となり、 スニティの父は丘陵から避難する際に撃ち 殺された。スニティと母親と二人の弟、そし て妹は、なんとか国境を越え、インド国内 の難民収容所に逃れた。こうした民族紛争 が続いていた1985〜89年に、スニティは ダッカ美術大学に学び、画家としてのキャ リアを始めた。89年、ス二ティーは少数民 族人権抑圧政策に抗議して非暴力抵抗運 動に参加、その際秘密警察に身柄を拘束 されるなどの事件がありついに政治亡命を 決意、タイを経て自由と芸術の国フランス に渡った。 |
チッタゴンの風景や人物を描いた初期の 写実的表現、またフランシス・べーコンの影 響を思わせる表現で民族主義的な抵抗を強 く訴えた描写は、フランスでの生活が長く続 くとともに次第に抽象化され、西欧現代絵画 の造形主義的な洗練が加わって変貌してい る。スニティのチャクマ族としての民族的アイ デンティティーは、レンヌの地で今後いかなる 形で芸術的深化をとげていくのかについては、 いま少し時間の経過を必要としているといえよ う。 |
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今回の展覧会では、スニティがフランスで、 日頃から活動をともにしている4人の作家仲 間たちの作品もあわせて紹介きれる。資料 を一見しただけでは彼らの作品が意図する ところは明確にはわからないので、日頃から 彼らと付き合いのあるチャクマの解説をもと に、彼らの作品を簡単に紹介しておこう。 |
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ヨハン・オリヴィエの作品は「螺旋」「彗星」 がテーマとなっており、その探究は「宇宙の 起源」へと発展していく。「螺旋」はまず絵画 的なフォルムとして出現し、そして新たな絵 画的空問を創造する。 |
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フランスではロリアン、そしてレ ンヌの美術学校に学びフランスの美術環 境に身を置き、西欧現代美術の洗礼を受 けながらも、チャクマ民族の魂を鼓舞しつ つ活躍している。 |
エマニュエル・ロペルのインスタレーションは 動く物体とそれが固定きれた場所との関連性 に関心がそそがれている。グワッシュを用いた 絵画では、同じテーマで遠近法を用いることに なる。 |
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スニティの芸術を読み解く場合には、や はりこうした彼をとりまく、地理的、歴史的、 民族的背景を知っておくことが必要であろ う。民族、人権、政治、戦争、宗教、難民、亡 命、といった問題は、それが彼の作品の中 に明瞭な形で現われようが、現れまいが、 当然のことながら、必然的にスニティが絵 画制作を続ける上での重要な動機づけ(モ チべーション)となり、テーマとなっているの である。 |
エマニュエル・ル・ポガムの作品は、風景や 動物などがその肌理から磨きだしてくる日本 の「夢の石」のようなもので、材料の偶然性 を利用して創り出されている。 |
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パスカル・モルールにとって、風景はより 大きな窓のようなもので、絵の具を塗り重ね たり、併置したりした抽象造形によって風景 のイメージの構造を破壊していく。 |
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