「知的思索が生んだ文明批評」
前田 孝一 
(美術評論家)

  「LANDSCAPE 1972-2001」と題する矢野正治さんの今回の展覧
会では、作者の1972年から郷までの30年にわたる画業の成果から、
風景に因んだ作品が出陳されている。それらは一見してわかるとおり、
単なる自然の忠実な再現ではなく、ましてや日本的花鳥風月でもない。
具象の風物を介して作者の心象を寓意的に表現した主観的風景画で
ある。
  会場を総覧すると、作品は、モチーフや表現方法などで3つのグ
ループに大別できるだろう。

  まず、巨大な魚の頭を描いた 「再制作  風景'72」 は、もともと
1972年に京都で発表されたインスタレーション、 「風景'72」 を基に
絵画に再制作されたものである。
  1972年には、作者はほぼ同様のインスタレーションを東京の村松
画廊や、大阪、横浜でも発表し、マスコミの注目を浴びた。
  原作が作られた頃は、高度経済成長の反面、環境破壊が進み、公
害問題が顕在化し、人間疎外、知性の荒廃といった人類の明るい未
来などとても展望し難い諸問題が噴出していった。
  作品を構成する巨大な魚(環境汚染による突然変異を象徴)、枯木、
枯葉、朽ち果てようとする人体や壁の黒布などは当時の社会的状況
を告発する寓意である。 画家である作者が、 絵画的発想によりなが
らも敢えて実物やオブジェによる3次元的空間展示を意図したのは、
より迫真的なリアリティを求めてのことだった。 このことは、作者
がこの課題にいかに意欲的であったかを物語る。 事実、今日まで
矢野芸術に一貫して流れる独特のペシミティックな文明批評は、こ
の 「風景'72」 を原点に展開されてきているものである。
  今展では、今も残る魚の頭部のオブジェを用いて、インスタレー
ションの部分的再現も試みられている。
  作者は後に、状況をストレートに、近視眼的に考察した激しい創
造行為だったとやや自嘲気味に振り返っているが、万国博の余熱醒
めやらぬ当時の人々に大きなショックを与えたであろうことは間違
いない。
  次に、第2のグループ、大作 「白霧流砂の旅」 を含む一連の地球、
宇宙のシリーズに移ると、 ここでも巨大魚と同様、 エコロジカルな
視点に立って1979年に制作された 「NOSTALGIA」 と題する立体作
品にその源流を見る。 それは、月面のようなクレーターで覆われた
地球、人類が滅亡した後の大陸など、世界の終末観を立体的にモノ
クロームで表現したもので、作者の視線は以前よりグローバルにな
っている。
  1980年代の中頃、矢野さんはシルクロード探訪の旅 ( 中国、イス
ラエル、 エジプト、 ギリシャ、 イタリア ) をするが、 その時訪れた
多くの遺跡で、時間が人間の栄枯盛衰の全てを廃墟という土砂の下
に埋没させてしまった光景に打たれる。
  矛盾に満ちた現在の人間世界も、いずれはこのように砂の下に埋
没して眠るのみである。 あとには無人の、風化した、不気味な地球
の風景だけが残る。このような運命論には、仏教の諸行無常の心境
が垣間見える。
  反文明を過激に、近視眼的に主張した青年期とは違って、人間と
自然との関係を遠視的に俯瞰的に見ることの賢明さを悟った矢野さん
の文明批評の視線は、やがて、悠久の時を刻む広大な自然へと向う。
  第3のグループ、北米大陸に取材した大自然の風景シリーズでは、
表現は思慮深く穏やかになり、大自然への畏怖が語られる。
  作者の卓抜した描写力をもってしても、大自然の現場での感動を
表現することは不可能である。
  「峡谷  CANYON 」 と題する グランドキャニオンの 風景では、
断崖の先端に豆粒ほどの人物を描き、科学技術で自然を支配できる
と信じる愚かな人間の姿をダブらせる。 沈みゆく太陽は人間の妄念
とは無関係に存在する絶対者である。 何億年かの時が作った地球の
襞 (ひだ) が見られる北米大陸。 ここでは人類の歴史などは物の数
ではない。
  もうひとつの大作 「残丘 BUTTE 」 でも地球の襞が描かれている。
BUTTEとは、米国西部の、侵蝕からとり残された “孤立した山 (丘)”
の意味である。矢野さんは、これらの風景の中に好んで動物の頭蓋
骨や石や鳥を描き加える。骨は神に捧げられた動物のものとも思え、
石は自然との共生時代の人が並べたものかも知れない。作者の古き
良き時代へのオマージュか、 ノスタルジーか、 あるいは、 人間の驕
りを戒める寓意ともとれるが、 この際は、 これらの解釈を観る人の
素直な感性にゆだねるのもよいだろう。
  第2次大戦後の現代美術の動向は、絵画から意味性は切断され、
伝統技法は軽視され、新奇な技法や素材を用いた抽象芸術が全盛で
あった。
  美術は社会の現実を離れては成立しないとする矢野さんは、敢え
て多数派にくみせず、孤立を覚悟でリアリズムの立場をとり続ける。
  美術史を概観すれば、圧倒的な自然に対する微小な人間という自
然観は、 既にイギリスの風景画家、 ターナーにも見られるとする説
もあるし、戦後の抽象美術がやがて閉塞状態に陥った時、反動として、
エコロジー運動に連動しておこった、風景画や歴史画の復活といった、
いわゆるポストモダンの運動も見られる。
  矢野芸術にはこれらの動向との相似点もあるが、実は、矢野芸術は、
作者が芸術はいかにあるべきかを問い続ける過程で成立した、 いわ
ば誠実と信念の成果だと受取るべきだろう。
  矢野さんの画業の旅はまだ続き、終着駅がどこになるかわからな
いが、 リアリストの眼差し、 現実と向き合う誠実さが、 今後どんな
文明批評を生むか楽しみである。
                 (大阪府現代美術センター運営委員)
                 (枚方市立御殿山美術センター運営委員)



矢野正治(1935〜 )主な作品展

1958 新制作協会展・関西新制作展(〜64 東京、京都)
1966 現代美術の動向展(京都国立近代美術館)
シェル美術賞展(〜67 東京、京都)
1973 アサヒアートナウ73(梅田近代美術館)
1974 第11回 日本国際美術展(東京、京都)
1980 イメージの現代(大阪府立現代美術センター)
1982 Ge展(〜毎年出品 京都、大阪)
1991 現代美術10人展(京阪百貨店)
1993 現代絵画の5人展 (枚方市立御殿山美術センター)
1994 関西の美術(兵庫県立近代美術館)
1995 個展 ぬりかえられた寓意(京阪百貨店)
1999 個展 ドキュメント1960-1999(ABCギャラリー)
その他個展多数