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はらんきょ2008.08.01
ちょっとした入院だったが、なにしろ初めてのことでもあったし、普段は憎まれ口ばかり叩いているせいもあって、少々周りの人々をお騒がせもして、どたばた と混乱した二週間であった。その間近代医学の施術をたっぷりと受け、若い颯爽たる医師と、またそれ以上に若い看護婦のお嬢さんたちの、懇切な暖かい手当て に浴し、ある意味でパラダイスのような時間であった。ただ困ったのは、夜更かしの習慣が染み付いているため、夜眠れない。悶々とベッドの上で時の経つのを 待つ。これほど辛いものはない。したがって、嬉嬉として退院した。スタッフの皆さんありがとう。とはいうものの、これからが治療の本番であって、ほぼ永続 的に続くらしい。
ともあれ、「囚われの夜」からは解放されて、気儘な不埒な夜をこのところ謳歌している。夜の散歩も始めた。退院の日の夜は上弦の赤い月。なんと美しい。 重たく西空に傾いて、私をじっと見つめている。色っぽい。部屋にもどって、ラフマニノフの「2番」と「パガニーニの・・・」を聴く。「2番」は私が小学校 5年のころ夢中になり、全曲を記憶してしまった懐かしの一曲である。とうにそのレコードはなくなってしまっていて、なんだか無性に聴きたくなって、退院後 すぐにCDを買ってきた。昔のはクリフォード・カーゾンとロンドン響のもので、まさに正統であったが、こんどのCDはゲルギエフとラン・ランの新しいも の。さすが噂のゲルギエフ、生半可なものではない。めりはりが利いて現代的でしかもラフマニノフである。良い。懐かしい。小学校への登校の道が彷彿と目に 浮かぶ。そして貧しく、苦しく、しかも子供にとっては、そんな苦しさを跳ね返すに十分な冒険と夢にも満ちあふれていた日々。その戦後の混沌の中に確かな芸 術の香りを注入してくれた美しい調べ。
人生に華の面と哀愁に満ちた影の面があることを、強く心に植え付けてくれた美しい調べたち。寒い冬の夜、母と姉と10歳に満たない私は、歩いて20分程 の銭湯への暗い道を体を縮めて歩いている。途中駄菓子と回転焼きを売る小さな間口の店があって、そこからなんとも場違いではあるが、あのアマリア・ロドリ ゲスの「暗いはしけ」が聞こえた。当時はそのファドの名曲も流行歌の一つであって頻繁にラジオにかかったわけだ。「暗いはしけ」をバックに冬の夜道をゆく 三人は私の中で「絵」となって焼き付いた。「人生なんて楽なはずはない」。言葉をこえた感慨はその時に私の中に棲み着いたらしい。その母と姉は紆余曲折、 仲違いをくりかえしつつ、老境で数年同居してほぼ同時期に亡くなった。彼女らの人生がどれほどの幸せであったか。私には想像も付かない。分かりやすい愛し 方と憎しみを存分に発揮して、彼女達は去った。そして私は、だめな息子や弟としてたっぷりと彼女達の愛情に浴したのである。
果物屋の店先にすももが溢れていた。退院の翌日。私は当然のように求めた。10個も山にしてあって、赤っぽいやつで、形も可愛らしく色も微妙に異なり、 絵とするに十分である。「はざんきょ買うてきたから食べや」母はどういうわけか、よくこれを買ってきた。中にとてつもなく酸っぱいのが混じっているが、ま たじつに甘味なのにあたることもある。すっと手に入る小ささ、甘蜜の中に繊維が多く含まれ、桃より食べ応えがある。なにより桃よりずっと安価であるし、食 べた後の印象がなんとも言えない。つかみどころがないような、上品な優しさに満ちている。すもも・プラム・ソルダム・プルン・はたんきょう・はざんきょ う・・・これだけの呼び名で呼ばれているのも不思議なはなしで、私は特に「はらんきょう」という呼び方が気にいっている。「はらんきょ」なんだかいいよ ね。柔らかで優しい。辻原登の小説の中でも、「はらんきょ」と呼んでいる。ちゃぶ台の上に9個並べてみる。じつによろしい。1個は儀式のように食べてみ る。酸っぱいかたい、ほのかに甘い。満足である。勢いをつけて一気に描いてやる。3時間ほどでほぼ出来上がった。こんなちっちゃな果実に見事に引っ張られ て、私の制作はまた始まったわけだ。はらんきょさんにもありがとう。