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岩崎雄造エッセイ「湧虫雑記」 折々のこと

追悼 高野卯港君2008.10.07

  十月二日午後4時、君はこの浮き世に別れを告げた。膨大な数の作品を置いて実に潔く。現世で見られる夢と引き換えに、つまらぬ煩いのないあの世へ。最後、 もうちょっと粘ってもよかったと思うけど、君にしてみれば何年も何十年も必死に粘ってきたんだよね。生者が口はばったいことを言うもんやないね。
 九月の中頃、胸騒ぎがして君の家へお邪魔した。力なく横になった君と、ほんとにとりとめもなく話したね。何を話したのか、実はなんにも覚えていない。

 もう三十五年も経つだろうか。団塊の世代の吹き溜まりのような美術研究所に居合わせた僕たち。大学の暇に通っていた僕と、勤労青年で絵描きを目指してい た君とは、お互いまるで異質な存在で、顔は知り合っているものの口は利いた事もなかった。僕なんぞは本当に嫌みな生意気な若造だったもの、あのころの話し を持ち出されると恥ずかしくてしかたない。でも、不思議なことに、あの時代を若さの渦中に送った共感は、僕たちにかなり強く根付いている。そして、三十余 年を空白として再会した昨年、たまたま君は、ぼくの家のほん近くの市営のギャラリーで個展を開いたんだもの、遠く離れた茨木でよく開いたもんだよ。あれが なかったら、多分一生会うこともなかっただろう。ともあれ、一足飛びに初老同士となっての再会。お互い浦島太郎。そんな風だったよね。奥さんも研究所時代 に一緒だったので、急速に空白は消えて、忌憚なく話ができた。それから、梅田で一回、神戸で二回会って食事して、とても楽しかったよ。お互い組織に属さ ず、しこしこ小さい絵を描いて、なんとか売れんもんかいな、と気をもんでいる絵描き同志、いきおいグチがでるもんね。といって、世を呪うほど粘液質でもな いし、どちらかと言えば淡泊な性格で、「しょうないなあ」と言いながら、お互いの全く異質の絵どうしを褒め合ったりしたもんだよね。もう少し時間があれ ば、もっと君の凄さを見つけられたろうし、ちょっと残念だけど、そんな風に君の晩年のたった二年を同志として過ごせたことは、僕にとってとても大きな意味 があったと思っている。

 君を家に見舞った九月十六日、やつれた君の姿に、なんとか奇跡が起こらないものかと思いつつも、心底ではこれが最後だなと静かに確信していた。別れ際に、頭をあげるのもつらそうな君は言ったよね、奥さんのことを。
 「彼女は天使やで・・・」
 「ほんまやなあ。元気になったらなあかんで」
君の目の中には大いなる諦観と、僅かなる希望、そしてなによりも強い絵への情熱を見取ることが出来ただろう。
 横たわったままとは言え、二時間ほどしゃべって疲れさてしまった君に、別れを告げた。ちょうど留守をしていた奥さんにも書き置きを残して。
 播磨路の秋。そとは空がやけに広がっていた。

 同病の友訪なえば播磨路の空広々と鰯雲かな

 その二日後、奥さんから容体が悪化したので入院したとの連絡。そして、二週間が過ぎて十月三日に奥さんからの電話。以後、心の中の深いところに穴が開いたような虚脱感が続いている。

 そして、しきりに考えていることがある。神はどうして、僕に、君の大切な最晩年を、友人として過ごさせてくれたのか。運命とか縁とか、なんだか考えれば 考えるほど、ますますそこに何かがあるようで、君という人間像からますます学ばなければならないことがあるようで、そしてそれが、ますます人間を愛すべき 根拠になるようで、どこまでも深く広く、思いは駆けめぐっている。

 君の持っていた優しさ、弱さ、そして粘り強さ、正直さ、正しさ、そしてその他諸々の人間的要素、それらはすべてナイーブで善良で、少しも自分を身の丈以 上に見せたいなどと思っていない。今の世を生きていくには、ぼくも偉そうな事は言えないけれど、いわば不適格だ。君は自分を防御したりカモフラージュした り、姑息に相手を威嚇するための「飾り」や「みせかけ」のための「虚飾」を一顧だにしなかった。実に立派です。本当の「静かなる勇気」がないとそんな風に はいかない。ただ、この世を生きていくには、それなりの防御も要れば虚飾も時には必要、そこを辛うじて支えていたのはやはり「絵」だった。君の「王国」 だった。だれが何と言おうと君は「その国の王」だった。他人に対する攻撃性を持たなかった君は、十分柔軟で率直で、あえて言えば弱かった。その高貴な弱さ は、君自身に知らぬうちにちいさな「傷」をおびただしく付けていったのだろう。しかし、最期まで君は「王」でありつづけ、ますます冴えた作品を描き続けた。

 君の絵をノスタルジーとか滅びの美などと評するのは簡単だ。君がその体内に一生かかって醸成してきた「体液」が絵の具となって、キャンバスの上でしたたかに躍動し、躊躇し、濁り、冴え、世の不条理とやりきれなさと割り切れなさ、そしてそれにもかかわらず込み上げてくる人間に対する「愛」「希望」、なんと 混沌たる豊穣、哀愁・・・画面は静止したノスタルジーではない。このノスタルジーは力に溢れむしろ生き生きと「溯上する」。ぐいぐいとどこまでも見るものをひっぱって、あるいは追いつけないくらいにぐいぐいと溯上して、どこまでいこうとするのか、それが君が自らの作品に遺した「謎」であり、残された者への渾身のメッセージだ。

 高野君よ、「卯月の港」というなんと風雅な号を称した卯港君よ、もう静かに休んでください。

 僕もしっかり病んでいて、厚かましく生きようなどとは思っていないよ。ただ、残された時間、君の剽とした姿と、共にした貴重な時間、そしてなによりも、 君の絵とその中に託された「画家のこころ」を自分の心の中の一番柔らかなところに抱き続けていたいとの思いが、ますます強くなって来ているんだ。

 ひとまず、さようなら。そしてまた、あそこで会う日まで。

 合掌。

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