茶屋町画廊

茶屋町ポータルサイト入り口

TOP > 茶屋町アートサロン > 岩崎雄造エッセイ「湧虫雑記」 折々のこと > ヤニ色の天井

岩崎雄造エッセイ「湧虫雑記」 折々のこと

ヤニ色の天井2009.04.18

 猫の毛と絵の具でコテコテになったカーペットの上にゴロンと寝転がる。すべてが寝静まる。私の時間が今夜も始まった。

 手術の後遺症で下腹がゴロゴロしているが、概ね快調だ。みんなからプレッシャーをかけられ滅本へ追い込まれている貴重なタバコに火をつける。もう今夜は 描かない。仰向けのまま煙をフワッと吹き上げる。白い龍のようにくねりながら「ヤニ色の天井」へ消えていく。さきほど入れたコーヒーの冷めた残りをスッと すする。うまい。幸福。今、ここで幸福。この煙を見ていられること自体で幸福。じっとこのヤニ色の天井を見ていることで幸福なんて。

 時間がその本来の正しい「緩やかさ」を取り戻す。時計の時間から離れて純粋に移ろっている。過去も未来も溶け合ってひとつの大きな表情になって、優しく私を運んでいく。時間がどんどん透明になっていく。私は心地良く全くのひとり。

 そんな「透明な時間」の中に、次第に人々が見えてくる。今まで私に言葉や微笑を与えてくれた人々。共に生きて共に歓び悲しみ憤慨してくれた人々。そんな 人達が注ぐ「心」が目に見えない雨のように、突然ヤニ色の天井から降り注いでくる。音もなく素敵に気持ち良く私の身体に注いで、浸み入って、放射線のよう に突きとおっていく。ちょっと疲れ気味の心は魔法を受けたように軽くなって、その度に自分の薄い一皮がはがれていく。何と幸福な人生よ、と改めて感じる。 私にとって最も大切な儀式のようなものかと思っている。

 「生きて、生かされていることに感謝」などという感慨ではない。すべてを楽天的に四捨五入して納得しようなどとも思っていない。不満や不安は山ほどあ る。あってあたり前と思っている。今まで充分罪を犯してきたし、これからも少々は犯すつもりである。街中を歩いていて、喧嘩腰になることもよくある。結局 つまらぬ理屈をこね廻しながら、「賢さ」からは程遠い人間である。仕方がない。悟りから離れたところでじたばたしている「蒙昧の徒」を自認しているのだか らしょうがない。

 そんな訳で、昼間は少々殺気立って生きている。唯一、ひととき、小銭稼ぎや絵から離れて、ボンヤリ「ヤニ色の天井」に煙をくゆらせて安直に「まともな人間の心」に戻ろうとしているのだろう。いかにもいい加減な私の性格にはぴったりである。

Page Top